洗脳?間違っているのではないか?「文武両道」という言葉に感じる疑問。
大変申し訳ございません。
上の画像を見て、資格関係ないじゃん…と思った方いるかと思います。
基本的に資格をメインテーマにしているブログですが、本日は少し違う話をしたいと思います。
いつか雑記ブログも書いてみたいなぁ~…なんて思っていたので。
てなわけで本題に入りますm(_ _)m
先日、お盆という事でお墓参りのついでに、いとこの家に挨拶しに行った時の話です。
いとこの子供達に一年ぶりに会いましたが、だいぶ大きくなっていました。
彼ら彼女らを見ると、自分も少しずつ年をとっている事を再認識しました。
そして会話の中で、その子たちの話題になった時に出た言葉。
「文武両道」
母の兄が嬉しそうに、
「この子は、文武両道でどっちも頑張るんだ…」って。
まだ小学生ではあるが、いずれその子も18歳になる。
そして、高確率で22歳くらいまでの間に社会人となる。
社会人になると視野も広まり、世の中のいろんな事を疑い、矛盾も見つける様になる。
でも、まだ将来を決める段階ではないし、何か重大な決断に迫られる年齢ではない。
というよりも判断できないと思う。
その子たちが幸せに思う人生を歩んでほしいからこそ思う。
「文武両道は素晴らしい事」という考えを押し付けるのは間違いだと。そしてクソだと。
文武両道とは?
改めて文武両道とはどういう意味だろうか?ウィキペディアで調べると、
文武両道とは、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、秀でていることを指す語。求道的な評価にも用いられる語である。転じて、現代では勉学と運動の両面に秀でた人物に対しても用いられる。
と書いてあった。
私の場合、小学校~大学において、勉強もスポーツも「中の中」か「中の上」くらいだった。
悪くは無いが突き抜けてはいない、といった感じ。
ホリエモンの書籍にたまに書いてある、「小利口」というタイプ。
文武両道なんて無理。いつもそう思って学生時代を過ごしてきました。
文武両道という綺麗事にひそむ大きな間違い
結果論かも知れませんが、私の場合、学生時代に履修した以下の科目はいまだに活用した事がありません。
というより、子供ながら将来絶対に役に立たないだろうなという違和感がずっとありました。
- 音楽…社会人になって楽器など吹いた事はありません。今後も無いと思います。歌えるようになりたいなら、カラオケにでも行きたい人が行けば良い。
- 古文…受験のため、で終わりました。
- 漢文…受験のため、で終わりました。
- 歴史…頑張って覚えてもいずれ内容は変わります。社会人になって10年がたつが、徳川家康すら会話に登場した事はありません。
- 現代文…日本で生活していれば、自ずと読み書きできるようになるのでは?
- 英語…学校では絶対に英語など身に付きません。個別に努力した方が早いです。
これだけ無駄な事をやらせといて、部活(スポーツ)も頑張れ?いやいや無理でしょ。
100人いたら1人は両立する人がいるでしょうが、私は残りの99人です。
どっちも結果を出すというのは、あまり現実味がないかと思う。
将来登場予定がなさそうな科目があるのは仕方ないとしても、少なくとも勉強かスポーツ…どっちかに絞るべきだと思う。
文武両道は洗脳にしか思えない
苦手なものを克服しても人並みにしかなれない。
でも、得意なもの(好きなもの)を突き詰めると特別な人になれる。
私はそう確信している。
プロ野球選手で、野球が嫌いという人はいるのだろうか?
芸能人で、目立ちたいとかチヤホヤされたいという願望がない人はいるのだろうか?
歌手で、歌うのが嫌いという人はいるのだろうか?
世の中突き抜けいる人ほど、得意なもの(好きなもの)を突き詰めているのだ。
しかし、苦手なものを避けようとすればするほど、それではダメだと注意を受ける。
その謎の価値観というか美徳は、社会人になっても多くの人が持ち続ける。
自由になりたい。けどなれない。行動できない。
人によっては自由になりたいとさえ、思えない。
文武両道が正しいという間違った学校教育による洗脳が、間違った価値観を生んでいる。
まだ独身の身ではあるが、いつか親になる事があれば、自身の子供には根拠のない価値観は押し付けたくない。
大してアクセス数のない弱小ブログであるが、親御さんや先生に読んでもらえると嬉しいなぁ…。