資格取得で生きていく

資格脳のサイコパス

本日は終戦記念日。資格をはじめ、勉強ができる幸せを考えよう。

本日8月15日は終戦記念日です。

1945年8月15日に終戦の日を迎え、今年で74年目になります。

当時20歳だった方は、ご存命であれば94歳。

私の父の両親はもうすでに他界しています。母の両親もすでに他界しています。

当時戦隊だった生き証人は、まだおられるのだろうか?

74年間、どのような思いで世の変化を見てきたのか?

想像しても想像しつくせないところはあるが、本当に気の毒だなぁと思います。

結局のところ、国のお偉いさん同士のこじれから戦争に発展し、まったく関係のない民間人がかわりに戦火に消えていく…。

そんな理不尽な事があって良いのだろうか?

どうすれば国同士の争いごとが無くなるか?

これに関しては永遠のテーマのように思うが、個人的にはこう思う。

 

国同士のお偉いさん同士で殴り合っとけ、関係ない民間人を巻き添えにするな。

 

それでも昔は、国のために尽くす(死ぬ)というのが喜ばしい事だった、らしい。

そう聞いたことがある。

…本心ではどうだったのかな?

死にたくない、生きたい、というのが本音だったのでは?

今のところ「武力行使による戦争」はなさそうだが、夜道も平気で歩けるような時代に生まれ育った私は本当に幸せだと思う。

昔は夢も希望も目標も、個人の思いなど関係ない。

今の私よりも10年近く年下の若者が、何もできずに人の都合で死ぬなんて…。

何という無念なのだ。

「昔より今の方が生きづらい」などと言う方がいるが、根拠は何なのだろう?

馬鹿なのか?

ちょっとやそっとの事で、「日本オワタ」などとネットに書き込む人も、この日だけは恥ずかしいのではないのでしょうか?

日々資格の勉強をしているが、「勉強したい事を勉強する」「やりたい事をやる」という今では当たり前の事もかつては出来なかったのだ。

生まれる前の事をいくら想像しても、想像しきれないところはあるが、亡くなった方への敬意は持ち続けたい。

ラーメン屋が休みでも、欲しいものが品切れでも、ガソリンが高くなっても、子供が言う事聞かなくても、急に雨が降ってきても、毎日どんなに暑くても、毎日どんなに寒くても、人から小馬鹿にされても、健康診断で引っかかっても、携帯電話が水没しても、仕事で失敗しても、資格試験に落ちても、失恋しても、リストラにあっても、親が死んでも、何があってもそれでも人生に残り時間があるというのは幸せなのだ。

 

何となくつまらなく生きた今日という日は、昨日死んだ者がどうしても生きたかった日なのだ。